前半中身がないから読み飛ばしていいよ
タバコ吸ってないと勝手に思っていた人がタバコを吸ってるのを目撃したり、あー普通に吸ってるよーみたいに言ってるの聞くとものすごくショックを受けてしまう。
しかしだからと言って私はタバコを吸ってる人が嫌いなわけじゃないしタバコって存在自体を嫌ってるタイプの人間でもない。これはどう言った現象なんだろう…。
まず、仮説を立てるにあたってショックを受けたときの感情を思い出してみた。厳密な言語化は難しいけど、私の思ってるのと違う、とかそうであって欲しかった、みたいな感覚のような気がする。
例えるなら、写真や名前から味を想像しながら注文した料理が思っていたのと全く違ったときの感情に似ていると感じた。本格の海外料理屋さんとかでありがちなやつ。チェーン店で出される料理は日本人向けにアレンジされてたってのはよくある。
そこでわかったのが、まあ答えは出てるんだけど結果的には自分の、その人への印象から想像してすでに固まっていた記憶との食い違いによるものではないだろうか
喫煙の有無は言うなればその人を構成する上で重要な要素のひとつであるように思う。それは年齢性別に匹敵するほどのものではないだろうか
故に非喫煙者だと思っていた人が喫煙者だと分かることはそれだけ対象への認識を改めなければならないという脳にとっては大きな事なのかもしれない。
…まあ人への認識は本人のエゴでしかないわけなんだけど。
結局あれなんだよね。ここまで小難しく中身のないこと書いてきたけど眼鏡似合ってるなって思ってた人がコンタクトにしたとか独身だと思ってた人が結婚してたとかそのレベルのことなんだよ。
なんだよ、脳にとって大きな事件って。アホか。普通にその程度のこと受け入れる度量くらい持てよって思う。
ただまあ…うん。人間って無意識に人に順位つけてるんだと思う。タバコ吸ってるから、中卒だから、変な(自分の知らない)宗教に所属してるから、肉体労働者だから、〇〇国人だからとか
そういう偏見だよね…。偏見で持って人を評価してきたんだ。それで自分より上だと思って尊敬してた人がタバコっていう自分が下に見ている要素を持っていることを知ってショックを受ける。まあそう言えばわかりやすいか。
なんか、平等に人を見るのって難しいと思うし無意識のうちに自分の中にも偏見って言う好ましくないものが巣食ってることにウンザリする。アレだけ正義ヅラしてきたのにね。
ただ、自分の身を守るためにも偏見とかが必要になってくる場面もあるってことを考えたらそれを捨てられないのは仕方ないような気もしてくるし。
必要になってくるのはその偏見で持って差別してはいけないってことかなあ。結局よくわからないけどそう言うことな気がする
最後まで迷走して終わってしまった。