自己批判
私たちはテレビやSNSで他人の100の幸せを知り、100の不幸を知る。それにいちいち一喜一憂して心をすり減らす。よくそんなことを日常的に続けて心が壊れないなと思う。私はとうに壊れてるから。
人民の幸福度の高い国があった。そこは発展途上国であったが人々の間に笑顔が絶えない。
何故か、それはその国の人民の多くが自分たち以外の世界を知らないからだ、自らの国が発展途上国だと自覚していないからだ。
その証拠にその国にインターネットが広く普及するようになって、幸福度は一気に落ち込んだ。自分たちの世界が一番ではないと知ったからだ。他人の幸せを知ってしまったからだ。
知識は…確かに人を豊かにして幸せにもするかもしれない。ただしそう思っているのは全ての人ではないかもしれない。物事の答えは常に一つではない
例えば、発症すれば1日で死に至る不治の病に冒されている人がいる。彼は自らが病にかかっていることを知らないがとても幸せそうに生きている。彼は1週間後床に伏し次の日亡くなる。少なくとも彼は倒れるまでは幸せだったわけだ。
ところがある親切で技術の高い医者が彼を親切心で不治の病だと診断した。すると、発症し死に至るにはまだ1週間猶予があるにもかかわらず彼は未来に希望をなくしその日から床に伏してしまった。
彼は自らが病だと知ることで幸せになることができたのだろうか。
SNSやテレビはそれを利用する私たちに、自らを評価し、批評する材料を与える。
幸せだった人は、自分の幸せが珍しいものではないことを知り、手に入ることのない更に上の世界を知る。
夢に向かう人は、同じ分野で自分より才能のある人間が山ほどいて、しかも彼らですら評価されないという事実を知る。
心を折るには十分だと思う。
歴史上の著名な芸術家や哲学者には悲惨な末路を辿るものが多いように見える。それは多くの知識を得て、変えようのない現実を知ってしまったからなのかもしれない。
私たちはある意味、彼らと同じ状況に置かれているとも言える。そんな状況で強く生きることのできる現代人の心は、きっと金剛石でできているに違いない